2017年6月29日木曜日

現在私が修復中の1838年製プレイエル・ピアニーノとショパンが使用した1838年製プレイエル・ピアニーノとの比較2

プレイエル台帳の1ページ

ショパンの名前が出ている部分


背景その2
フランスの音楽博物館に、昔のフランスピアノメーカーの記録が保存され、現存する資料をスキャンしたものをインターネットでも公開しています。
(http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)
そこでは、エラール、プレイエル、ガヴォー、ボードの当時の記録を製造番号から調べられるように整理されていて、私もピアノの情報を調べるときによく利用しています。
この膨大な量の資料をまとめた方々には本当に頭が下がりますし、このような資料を後世に残し、役立てようとお金を出したフランスという国を私は尊敬します。

ショパンがマヨルカ島ヴァルデモーサに取り寄せたとされるプレイエルのピアニーノの資料もその中に残されており、購入者の名前が「Chopin」ということも確かに記録されています。
製造番号6668のピアノは、6オクターブ1/2のピアニーノで2本弦、2本ペダル、マホガニーの外装でした。
1838年9月に完成し、購入者はパリのショパン、価格は1200フランで1839年6月に支払われたことが記載されています。

ここで、専門家の間では疑問が生じています。
ショパンが購入したと記録されているピアノの外装と、マヨルカ島ヴァルデモーサに残されているショパンのピアノの外装に食い違いがあるからです。
製造番号とピアノの構造は一致しているのですが、プレイエル社の当時の記録では、ショパンが買った6668は、「マホガニーの普通タイプの木目で装飾なし」のもので、確かに当時1200フランの値段が付いていたものです。
ところがヴァルデモーサに残されている6668は、「マホガニーのイバラ模様の木目で装飾付き」で、当時1400フランで売られていたもののようです。
もう一点の食い違いは、現存する6668の鍵盤に残されている職人のサインが、プレイエルの記録の職人と同一ではないこと、そして鍵盤オサに刻まれた製造番号は6737であることです。
これもフランスのすごいところだと感心していることなのですが、プレイエル社の記録台帳には、各工程を担当した職人の名前が、一台一台のピアノについて残されているのです。
それによると、ショパンが購入したピアノの鍵盤を担当した職人の名前はGenlisですが、実際にこの6668の鍵盤に残されている職人のサインはLegrandとあり、一致しないようです。
そして鍵盤オサに刻まれた6737のピアノの鍵盤担当者は確かにLegrandと記録があります。
鍵盤オサ以外の部分に付けられている製造番号は、ピアノの中にいくつか残されているものを確認済みのようですし、ピアノ本体は6668に間違いなさそうです。
一体どうしてこのような食い違いが出たのでしょうか?
本当に現存しているヴァルデモーサのピアノがショパンのピアノだったのでしょうか?

答えはまだ出ていません。
この問題を研究している「Pleyel 1757-1857 La passion d'un siècle...」の著者Jean Judeさんは、著書の中で詳しく比較し、食い違いの可能性を提示しています。
一つは、ショパンがマヨルカ島を去る時にピアノを現地で転売した際、外装を貼り直され、鍵盤を取り替えられたのではないか、という仮説。
というのは、ショパンの病気の結核は伝染すると当時のスペインで極度に恐れられていたため、ピアノの購入者が病気が移るのを恐れて改造したのではないか・・。
もう一つは、プレイエル社の記録係の単純な間違いだったのではないか・・。
この本の中で答えは出ていません。
ただ、最近著者に問い合わせたところ、新しい発見をしたので次に出る本で発表する、という答えが返ってきました。
次の本は、今年中くらいには出る予定らしいです。
私も彼の新しい説を楽しみに待っているところです。
(続く)

参考資料:
「Pleyel 1757-1857 La passion d'un siècle...」Jean Jude著
ARCHIVES PLEYEL (http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)

2017年6月28日水曜日

現在私が修復中の1838年製プレイエル・ピアニーノとショパンが使用した1838年製プレイエル・ピアニーノとの比較1

マヨルカ島ヴァルデモーサに展示されている、
ショパンが使ったとされるプレイエル・ピアニーノ
製造番号:6668 (1838年製)
(http://gallica.bnf.fr/より)


現在私が修復中のプレイエル・ピアニーノ
製造番号:6720 (1838年製)


プレイエルと関係が深かったショパンは、ジョルジュ・サンドと共にスペインのマヨルカ島に滞在した際、プレイエル社に頼んでピアニーノをパリから取り寄せました。
そのピアノと現在私が修復中のピアニーノとは、製造年が同じで製造番号も近いことから、内容を詳しく調べ比較してみることにしました。

背景その1
ショパンはマヨルカ島に長期滞在するつもりでピアノを送らせたようなのですが、現地の様々な条件の悪さのため滞在を早く切り上げてフランスへ帰ったので、実際にこのピアニーノを使った期間はとても短かったようです。
1838年11月8日からマヨルカ島に滞在していたショパンはパリから送られてくるピアノを待ちに待っていましたが、12月21日にようやくマヨルカ島パルマに到着したピアノは税関で止められ、高い関税を要求されたため値下げ交渉に3週間かかり、実際にピアノがヴァルデモーサのショパンの家に届いたのは、1839年1月15日頃でした。
そしてショパンとサンドがマヨルカ島を去ったのが2月13日ですから、ショパンは1ヵ月足らずしかこのピアノを弾かなかったのです。
フランスへ帰る時にはまた税関での問題が起こると思われたので、このピアノは現地で売られました。
たった1ヵ月しか使わなかったピアノか・・とも思われますが、それでもこのピアノでプレリュードを完成させたこと、バラード2番やポロネーズ2曲、スケルツォ3番などの曲にも着手したことなどを考えると、1ヵ月の中身は我々の想像をはるかに超える深い内容だったのかもしれません。
また、ショパンの短い39年の人生を思うとき、1ヵ月の重さを感じずにはいられません。
実際ショパンは、プレイエルが届くまでの間現地で借りていたスペイン製のピアノに満足できず、プレイエル到着を大変喜んだようですので、やはりこのピアノの意味は大きかったでしょう。

マヨルカ島でのショパンとサンドの生活は、予想に反して苦しいものでした。
島の人々の不親切や意地悪、過酷な気象条件と生活の不便さ、そのため悪化していったショパンの病気・・・など当時の記録を読み想像すると、耐え難い地獄のような生活に思われます。
しかしそれに反して、マヨルカ島の自然環境は楽園のように素晴らしく、雄大な景色や豊かな植生に囲まれ、ショパンとサンドは天国にいるような感覚も味わったのです。
この特殊な環境の中にあって、並外れた感受性を持つ二人の芸術家の仕事がどんなに深く濃い内容のものであったかは、量り知れません。
そのようなショパンの仕事の手助けをしたプレイエルのピアニーノの存在の重さもまた、1ヵ月という時間では説明できないもののように思われます。
(続く)

参考資料:
「マヨルカの冬」ジョルジュ・サンド著、J-B・ローラン画、小坂裕子訳、藤原書店発行
「ジョルジュ・サンドからの手紙」ジョルジュ・サンド、持田明子編=構成、藤原書店発行

2017年6月27日火曜日

1838年製プレイエル ピアニーノ ピン板




1838年製PLEYEL pianino 1m15(ショパン時代のプレイエル)
ピン板は、表面の剥がれの接着をした時にニスがまだらに剥がれてしまいましたので、すべてを剥がしてきれいにした後、音名を刻印し直しました。

2017年6月26日月曜日

1838年製プレイエル ピアニーノ 響板3






1838年製PLEYEL pianino 1m15(ショパン時代のプレイエル)
古いニスをできる限り剥がした後、サンドペーパーで響板全体をきれいにしました。
駒に黒鉛を塗り直し、ニス塗りの準備が完了しました。

2017年6月25日日曜日

1838年製プレイエル ピアニーノ 響板2





1838年製PLEYEL pianino 1m15(ショパン時代のプレイエル)
響板割れの修復を終えました。
古いピアノですが、割れは少なく、修復は楽でした。

2017年6月24日土曜日

1838年製プレイエル ピアニーノ 響板1









1838年製PLEYEL pianino 1m15(ショパン時代のプレイエル)
響板の古いニスをまずはざっと剥がし、響板割れの修復を始めました。
割れを開いて、埋め木をします。

2017年6月23日金曜日

1838年製プレイエル ピアニーノ 駒ピン








1838年製PLEYEL pianino 1m15(ショパン時代のプレイエル)
錆びた駒ピン、アッパーブリッジのピンを磨きました。

2017年6月22日木曜日

1908年製エラール 平行弦 響板3






1908年製ERARD  平行弦 1m85
響板をサンドペーパーできれいにし、駒に黒鉛を塗り直して、ニス塗りの準備ができました。

2017年6月21日水曜日

1908年製エラール 平行弦 駒ピン








1908年製ERARD  平行弦 1m85
錆びた駒ピンを磨きました。

2017年6月20日火曜日

1908年製エラール 平行弦 響板2 









1908年製ERARD  平行弦 1m85
このピアノは響板にたくさんの割れがありました。
かなり長い間、湿気た場所に置かれていたため、私のところへ来てから一冬寝かして乾燥させたら、割れが増えました。
割れるだけ割れたところで埋め木修復をしたので、この先は環境の悪い場所に行かない限りは大丈夫だと思っています。

ちなみに響板の割れと音色にはあまり関係がありません。
昔のピアノは、響板が割れていてもとても良い音を鳴らします。
ただ、割れが大きくなると雑音が出たりするので、それを避けるために修復をします。
響板が割れているピアノはダメ、ということは全くないのです。